雑談・今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」について
今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」
こんにちは、こんばんは!
☆海貝あかりと申します^^
今週のお題が祖父母に関してということで、ちょうどいいタイミングでツイッターにこんなのが流れてきました。
Jアラートなった地域の老人ホームで
— なのとら@榛名提督 予定は未定 (@NANOTORA2) 2017年9月15日
元軍人だったお爺さんが「総員配置に付けー!」とか「まわせー!」って叫ぶわ
お婆さんが「皆早く防空壕へ!」って叫ぶわ
って職員より実戦慣れしてるって話聞かされ爆笑した。
多分今の平和ボケした若者や偏向報道に踊らされ鵜呑みにする人より頼りになる
何これ、すごい(笑)
以前前の記事でも触れたことがるのですが、戦争経験の記憶がある祖父母というのが私の場合今、一人しかいないのです^^;
もしご興味がある方はこちらもどうぞ♪
このツイートに関してはこの日、私はツイッターでこう残しています。
これ、ちょっと私の祖母にも聞いてみたいな。慌てる?って。たぶんあの人は表には動揺を出さない体でいる人だから北朝鮮に対して怒りはしても素直に慌てるというとは思えないけれど^^;>RT
— 海貝あかり (@Umikai_akari) 2017年9月16日
そう、私の祖母は戦時中、和菓子屋の長女でした。
祖母の両親は父が(まだ士農工商が強く残っている時代です^^;)武家の家系なのに和菓子作りが好きな人で、母は農民の家系で食べるのが好きで、反感を押し切って家と縁を切り駆け落ちをしたのだそうです。
それゆえか長女であった祖母は厳格に育てられ、子育ても(駆け落ちで両親とも家とは縁を切っていたはずなので)人手が足りず尋常小学校からの帰りは「遊んできたんだから手伝え」が口癖で第二の母親代わりに下の弟や妹たちを面倒見てきたようです。
多分、そのせいなのでしょう。祖母は自分で思うほどポーカーフェイスじゃないのに「冷静よ」と言いながらよく怒るし、あまり素直に怖いだの驚くだの喜ぶといった感情を言葉に出したりしません。
これは私の推測であり、本人から聞き出せないのでわかりかねますが、戦時中したに兄弟たちがいたから自分の恐れや不安を口に出すことが許される環境ではなかったのでしょう。
若いころの体験って脳が忘れてても体が覚えてるってこういうことなんでしょうね。
頼もしいですよね。
今、笑えていますが、それがどんなにか幸せなことなのか、私たちはすぐに忘れてしまいますよね。
歴史上いつも人は争っていて、争わない方が歴史上では少ないのだとおっしゃっている人がいました。
歴史や世界史を見ればそれはすぐにわかることですよね。
いつも感謝を忘れないでいられたなら、そんな悲しいことも起きないのに……。
自分の中の平安や幸せはいつも忘れないようにしていきたいですね^^
ということでたいしたことはかけず、申し訳ありませんでした。
また機会がありましたらお付き合いください♪
☆海貝あかり