雑談・うしろの正面だあれ(アニメーション映画)

こんにちは、こんばんは、初めましての方は初めまして。

☆海貝あかりと申します。

 

※戦争のことについて触れます。苦手な方はブラウザバックしてくださいね。

 

つい最近、「うしろの正面だあれ」というアニメーション映画を目にしました。

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これを見てて思ったのは、私の外祖父(故人)と外祖母のことです。

私の祖父はもう亡くなっていますが、戦死ではありませんでした。

祖母の父も長生きをしました。二人とも兵士としてとられ、特攻員でしたが、出発間際で機体の不具合が見つかり、航行不可能となったり、引き返したりしたためでした。

祖父たち兵士だった男衆は戦争について口を開くことはほぼなかったそうですが……多分、心のどこかで生き残ってしまって恥だとでも思っていたのかもしれませんね。

 

どうして急にこんな重い記事を書くのかと聞かれそうですが、やはり、戦争の記憶を忘れてはならないと思うのです。

私たちは戦争の記憶を持ちません。

もう齢80をまわった祖母ですら、戦争末期の生き残りです。

それは、とてもありがたいことだと思います。

でもだからこそ「知らない」「わからない」からってそのままでいていいわけではないと思うのです。

関係ないことではなくて、他人ごとでもなく、変に「海外からの物資を止められれば日本は枯渇して戦争なんかするまでもなく負けるよ」とか悟るんでもなくって、やっぱり知っておくべきなんじゃないかなって思うのです。

それに、人の記憶は著しく低下していくもの。だからこそ、私もこうして文章に残しておいた方がいいかなと思いました。

 

私の祖父は尋常小学校4年生にて兵士としてとられ、中退したため、学歴がなく、連帯責任として横っ面を馬鹿力でひっぱたかれて耳の聞こえが悪くなった人でした。

私の祖母は国民小学校で中等教育までを卒業した第一期生。戦後の長女として教員に進学を進められましたがそれもやむなく兄弟たちの教育のためにと仕事へ出た人です。

それ故なのか、双方お互いに厳格な人で、自分の娘には「お母さん」孫の私にすら「〇〇さん」と呼ばせたがった人でした。(さすがに今ではそれはさせようとはしていませんが^^;)

 

道を歩けば焼け野原、晴れた空を見上げれば、木々の枝に人の人肉がぶら下がっている(多分、自爆によって吹き飛ばされた特攻隊員のものでしょう。もう終戦間近だったというので、桜花なのか、伏龍なのかはわかりません)校庭の庭には処理されもしない遺体の山、その上にはいつもカラスが飛んでいる。

 

参考までに

*桜花(おうか)

通称:BAKA・BOMB(通称というより海外では実際にこちらが正式名称のように紹介されているようです)人間を搭載したほとんど操縦もできないというのに敵空母に突っ込むだけのために弾薬の中に人を入れた恐ろしいものです。

*回天(かいてん)

通称:人間魚雷 これも桜花と同じくほとんど操縦の自由がないのに敵艦に突っ込むためだけに人間と火薬を搭載した魚雷です。有名な自殺ボートと大差はないでしょう。

*伏龍(ふくりゅう)

竹槍のようなものに自信が火薬をしょって突っ込んでいき、そのやりのようなものを敵船に突き刺して自爆するものです。もはや装甲なんてものは存在していません。

 

食べるものがないのに畑へ出れば分けてもらいたい人の行列ができ、爆破された食糧庫まで歩いてあいてない缶詰を拾い、米はどれだけ洗っても食べれたものでは無かった。

そんな話を耳にタコができるくらい何度も聞きました。

そして、そんな祖母がある日寝言で何度も「かあちゃん!!」と叫ぶのを目の当たりにしました。

必死に必死に叫んでいるのです。祖母は一度も自身のお母さんのことを人前で「かあちゃん」という人ではありませんでしたが、多分防空壕へ避難しているときの記憶でも夢の中で見ていたのでしょう。あの時代は「母ちゃん」という呼び方が一般的だったのだろうなと思います。

幼少期に炎の海に投げ出された気分というのは、私たちには想像もつかぬほど、どんなにか恐ろしかったことでしょう。

 

二人とも何特攻員として呼び出されたのか(多分祖母の父は神風、祖父は桜花か伏龍あたりじゃないかと思うのですが)……兎にも角にももし不備が見つかっていなかったらと思うと恐ろしい限りです。

 

どうか、自分には関係ない話だと思わないでほしい。

一度この作品を見てほしいと思ったので久々に長々としたブログを書きました。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

☆海貝あかり