米津玄師さんの発言や、他の人の発言で思うこと。「人目に出なくていいなら出たくない」他

こんにちは、こんばんは、初めまして?

☆海貝あかりと申します。

今回は、ずっと他の人に話せず、事務所的にもわりとアウトな発言だったのでこうした発言を控えていたことをぶっちゃけます。

というのも、米津さんにあまりに同感しすぎて、夢にまで出てきてしまったので、たぶんもう一人で抱え込むには荷が重いんだと思います^^;

ぶっちゃけちゃえば消化されちゃうもんね!!

と、いうわけでいっくよ~!!(←何が元ネタだったか忘れましたが)

目次・めにゅ~

少しでも芸能界に入ってる人間としてはグレーかアウトな発言だけど……。

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https://www.pakutaso.com/20170439114post-11229.html

この記事を書くきっかけは、上記の通りなのですが、

少し私のことをお話ししなければなりませんね。

ここ最近読んでくれている方や、この記事だけたどり着いた方にはわからないと思うので、ざっくりと言うと、私はナレーター・声優を活動メインにした芸能事務所というものに所属しています。

正式な所属ではなく、仮所属であるうえに、人気職業となってしまった上記の仕事はほとんどありません。
そんな私でも、曲がりなりにも芸能界事務所の端くれとして、思うことがあります。

米津さんの「人目に出なくていいなら出たくない」という発言です。

心底同意します。

私も同じです。

事務所所属者の発言としては不適切・不謹慎極まりないですが、誰しもが人前に立ってスポットライトを浴び、目立ちたいわけではないことを知ってほしいと思いました。

私は米津さんのように、成功者でもなければ、有名人でもありません。

それでも、そう思うのです。

事務所では結局芸能界は全て同じ仕事、それを勝手に区分して呼んでいるだけだから、顔出したくないっていうのは違うよねと教わりましたが、それはそうなのでしょう。

有名になれば、周りはもっと知名度を上げたいし売りたいからテレビなどに押し出されてしまう。

私は米津玄師さんのファンではありません。

彼がハチと名乗っていた学生時代から知ってはいますが、追っかけたり、検索するほどの熱心なファンではなく、時折好きな曲があるという程度の人間です。

ですが、この記事をご覧いただいている方なら見たのではないでしょうか?

2018年の紅白に出場した彼の姿を。

元々、そういう性格で、表舞台に立つのは苦手な方なのだということは知っていましたが、彼は熱心にNHK口説き落とされたわりに、あの怯えたように歌っていた姿。

精神的な負荷などによる重度のパニック障害が出た時の鬼束ちひろさんのように、私は見えました。

表現の仕方、こころの繊細さ

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https://www.pakutaso.com/20170730201post-12565.html

私は、鬼束ちひろさんが好きです。

特に復活宣言前に出したThis Silence Is Mineは、必死に生命を燃やしているようでした。

彼女は、長期休暇の前、ライブで歌っている最中、観客全員が悪魔のように見えたと言います。

彼女は、多分目立つことも、スポットライトを浴びることも米津さんほど苦手でも嫌いでもないと思います。

それでも、こうなのです。

表現者やアーティストは、人一倍繊細な人が多いです。

そうでなければ、人の心など動かせないからです。

例えば、ごく普通のことをごく当たり前に表現して、評価されますか?

例えとして、

・満員電車に乗って苦しかった。

と言われるのと、

・満員電車に乗ってもみくちゃになって、呼吸困難になりかけた。

だったら、どっちの表現に心を動かされますか?

もっと言えば、Amazarashiさんの歌詞からお借りした表現で

・「満員電車は個人的な紛争地帯」という表現だったら、どうです?

確実に面白い表現だなとか、その一文に色々見いだせるのは紛争地帯の方でしょう?

 

別の例を上げて、

・独りでいるのは寂しくておかしくなりそう。と、

Aimerさんの

・「わるいことをしたらきっと貴方が
怒ってくれると約束したよね
だからきっともう一度
私を見つけてくれるよね
寂しいところに もういなくていいね」

だったら、どっちがより切に訴えかけてくるでしょうか。

 

もちろん、お借りしている表現は米津さんの話題関連としてすべて歌詞から引用したもので、文章としては長いです。

小説で言うならまどろっこしいという表現がぴったりくるでしょう。

でも、これらの表現物・表現者たちがどれほど物事を大きく捉えて表現しているかが分かるはずです。

これが会話の中に入ってきたら、間違いなく大げさだなと思うでしょう。

けれど、作品になると大半は大げさだと思わない。

これを大げさだと思うか、思わないかの違いは、そこに実感があるかないかの差だと思います。

つまり、こういう表現をするということは、大抵は常日頃からそう感じているということになります。

ちょっとしたことでも大きく捉えるほど、繊細なのです。

むしろ、当人にとってはちょっとしたことですらないでしょう。

繊細すぎるほど、繊細かもしれない人たちへ

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https://www.pakutaso.com/20181017297post-18217.html

 

上記の表現に共有・共鳴・共感したのなら、いえ。

この記事にたどり着いて、未だに読み続けているあなたも、私から見ることや知ることができなくても、十分に繊細な人なのだと思います。

 

こういった人々の大半は、世の中は非常に生きづらいです。

私も例に漏れず、いらぬ所で傷つき、迷い、戸惑います。

私の外見の写真は、私の名前(海貝あかり)と検索すればいくつか出てきます。

これも、本当は、吐き気を覚えるくらい嫌で嫌でたまらなかった。

写真をアップする時は別人並みに化粧をして普段と違う顔になっている時か、顔の一部や大半を隠してなら抵抗は少ないのですが、一部の場所でそれは受け付けられない、駄目だと言われたとき、怒りや、苦しさ、嫌悪などよ感情が入り混じって、悲しささえ覚えました。

芸能の端くれでこれなのです。

賞を受け取りに行っただけで「撮った写真やムービーを口外しないで」とお願いした米津さんに対して返ってきた言葉は、「外見に自信がないなら出てくるな(アーティストをやめろ、ということ?)

こういった罵倒や発言を受けた米津さんはどんなに辛かったでしょうね。

外見の見栄え云々じゃないんですよ。

嫌なものは嫌なんです。

一見、華やかな場所にいるように見える人たちでも、そういう人間もいるのだなと思っていただけたら幸いです。

お願いだから、嫌だと言っていることに対して「芸能界なんだから、もっと表に出てきてほしいと言われるのは当然」とか「見た目がネットで広がったり公表されるのは当たり前」とか言わないでね。

※上記は私が親しい人に言われたセリフでもあります。そんなのは、こっちだって、重々分かってるんです。それに、そう言ってもらえて、仕事を貰えることが有り難いんだってこともね。

親しい人から言われたならなおさら、「やっぱり自分がおかしいのか、理解者はいないんだな」って悩んで、それでも自分の気持ちと他人の考えの間で苦しんでしまうから。

 

この記事で紹介させてもらった楽曲たち

 ※スマホや携帯での表示を考慮し、小さい画像サイズになっていますが、ぜひクリックしてみてね!

素敵な曲が聞けますよ^^

では、ここまでお付き合い頂きましてありがとうございました!

また、別の記事でもお会いしましょう!

☆海貝あかり