ALTER EGOというスマホゲームをやってみた
こんにちは、こんばんは、初めまして?
☆海貝あかりと申します。
今回はスマホアプリゲームのお話です。
目次・めにゅ~
ALTER EGO オルタ・エゴとは
こちらは昨年出たばかりだったと思うのですが、自己分析型読書ゲームとでも言うのか何というのか。
とにか配布前から雰囲気が気になった作品でした。
ゲーム内に存在している美少女、エスは、かなり変な女の子です。
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自分の答え次第でストーリーがどんどん変わっていくようなのですが、エスに分析してもらった結果は大半的外れもいいところ……一部大当たりして自分にクリーンヒットしますが、そもそもそこを弱点だとすら思っていない私は変なアドバイスをもらってもだから?としか思えませんでした^^;
自由が好きなのに、否定する!?
ただ、これは知らなかっただけであたってるかもなと思った診断はこちら。
純粋なる自由への否定型。
正直、この診断が出たとき、は?と思いました。
何を隠そう私は自由が好き!
自己確立型な為、あくまでも人は人、自分は自分。
私の自由をうばおうとするものは家族だろうが親友だろうが、恋人だろうが容赦はしません。
そんな自由が好きな私が純粋な自由などないと否定しているわけがないだろう!と憤りすら感じたのですが、後日思い出したら、以前より私は「完全なる自由は不自由である、人間は目に見えないしがらみで沢山のものに縛られている。その中でどれだけ思う通りに動けるかを試しているのだ」という持論を持っていたし、唱えていました。
そしてそれは今でも変わりません。
人は人が決めた法には逆らえないし、逆らったところでより自由から遠ざかるだけ……。
ほら、心理学でもよくいいますでしょ。
たくさんの種類のジャムをスーパーなどで羅列するより3〜6個のジャムに絞って置いておいたほうが売上が上がるとか
自由にクリエイティブなアイディアを出して!と言われるよりパーツを5個置いておいて、この条件で好きなものを作るとか、どんなものが考えられる?と聞いたほうがいろんなアイディアが出るとか……。
制限時間があるほうが人はやる気になるとか。
そう、私は純然たる自由は不自由であるという思考者だったのです。
面白いのは大半の診断は的外れもいいところで呆れたり、このゲームそのものをやめようかなという気になったりするんですが、時折自分だなと思う診断が出たり、こうして憤るような結果が出たりするんですよ。
憤る=当っている ですからね。
自分がどんな言葉を言われたらいやなのかがわかる。
ちなみに私は一周目では好きなようにやっているため、診断のやり直し等は一切やっておりませんが、どうも失敗した模様。
若干失礼な少女、エスに「私はなんなの?」と問われて上記にもある通り「エスはエスだ」と答えたところ次の章では「私以外は全部夢なんでしょ、だから、あんたも、私の夢なんでしょ」と言われてかなりブチッときました。
どうもこれは、自己確立型の私は言われたくない台詞のようです。
自分が見ている世界が、自分が存在していると思っているだけで実は夢かもしれないという話は構いません。
理系の方なら量子論の話をするのがわかりやすいでしょうか?
観測するのとしないのとでは動きが変わってしまうという、あれです。
実は自分はゲームの中のプレイヤーで、自分の意思で動いていると思っているのは、プレイヤーがスイッチをつけて観察しているときだけ、あるいは映画好きならマトリックスの世界ならわかりやすいでしょう。
世界は眠った人類が見ている集合体の夢の中の出来事、というやつです。
そういうのを私は否定しませんし、寧ろ肯定的な方です。
面白いじゃありませんか。
だけど、私という概念や考えがここにあると思える限り、私は私であり、決してアンタという不完全な存在の不確かなものになるつもりはない。そう思うわけですね(笑)
これはゲームに限った話ではありません。
私はエスがゲーム内のキャラクターだから不完全なと言っているのではなく、(それも含めてだいぶイラッとはしましたが)人間誰しもが不完全だと思っています。
もしもリアルでエスに似たようなことを言われたら、その人の頭を疑うか(失礼(笑))憤るでしょうね。
アンタはアンタ(の世界)かもしれないが、私だって私だと。
エスは最初若干依存気味の女の子として出てきますが、自己確立をしてしまうとおかしなことになるようです。
自分がどんなことを言われたら嫌なのか、自分が本当はこんな人間だったのか、という新しい部分を発見するのにはいいゲームだと思いますので、遊んでみてね!
☆海貝あかり