「生きてるだけで褒めて」ってフレーズで思ったこと。
こんにちは、こんばんは、初めまして?
☆海貝あかりと申します。
とある曲で「生きてるだけで褒めてよ」ってフレーズがあったんですよね。
それを見て思ったことがあって、そうだなって。
生きてるだけでもすごいのにけなす人が多かったり、それが当たり前だと思ってる人がいるのは何故だろうって。
生きるって、あたりまえじゃないんだぜ……?
人って「あたりまえ」のことには感謝しないんですよね。
どうせなら感謝の多い人生にしようよっていうのが私の考えです。
この記事を見ている方は、日々「幸せだな」とか「ありがたいな」って思うこと、一日に何回ありますか?
実は小さいことも、ものすごくあたりまえなことも、感謝に変えられるんですよ。
感謝できたら世の中の不平不満がほんの少しだけ減って気分が楽になって世の中生きやすくなりますよ。
例えば、きっと今朝だって起きたでしょ?
起きられてよかったとか、きっとこんな一個人のブログまで見れるわけだから自分が住んでる家だってあるわけでしょう?
それだけでもそれらが揃う環境下にあるのは幸せなことなんですよ。
もちろん、そんなのは自分が頑張ったからだ、苦労して働いて、その成果だって人もいるでしょうね。
でも、その頑張れる、動く体は当たり前ですか?
いつどこが動かなくなってもおかしくないよね。
健康で動ける体があり、雨風しのげる家があるって十分幸せで感謝に値することなんです。
今自分が不幸だって思っている人、嘘でもいいから毎日そういうどうでもいいことに感謝してみてください。
案外、自分は思ったほど不幸じゃないかもって思えてきますから。
私はうつ病状態で動けなくなっていた時にこれを行っていました。
ゆっくり休める環境があって、部屋は暖かく保つことができたし、日差しの色は暖かいと思えた。
いっぱいいろんなことあって、人との折り合いも、生活もぐっちゃぐっちゃでうまくいかないレベルまで仕事で酷使されて最初に診てもらった病院も大外れで、恨みつらみなんて思い返そうと思えばたくさんあったけれど、それでもそれが幸せだなって上辺だけでも思うことができたんです。
10分座っていることさえつらかった体はどんどん回復していきました。
食べたくても何も食べることもできず、くだっていたお腹は、一週間麦茶と黒糖のみで過ごし、ゆっくり固形物が食べられるように戻っていきました。
食べれることってこれも、あたりまえじゃないんだよなぁ……。
今でも何不自由なく食べることができ、過ごすことのできる家や体があることを感謝しています。
もちろん、感謝なんてしないで、こうなったのは全部〇〇のせいだ!とかやっててもいいんですよ。
でも、その場合体はもっとしんどくなって、さらに体調は悪化しますから、それなら感謝しようよ。
誰も褒めてくれないなら、せめて自分が自分をほめてあげましょう?
生きてることは当たり前じゃない。
今生きてるあなたは十分すごいし、十分に強い。
生きてるってそれだけでも素晴らしいことですよ。
このブログ記事を最後まで読んでくれた貴方は日々の中で、いったいどれくらい日々感謝をしていますか?^^
☆海貝あかり